理事長鶴岡 近況報告
入院し からだの不調が分からず
後から介助者に 聞かされて 驚いた私
むらさき(2026年1月)
「驚いた私」 女将 鶴岡和代
2026-02-01
皆さんお元気でしょうか。
11月と12月お休みしちゃってすみませんでした。
皆さんは新しい年を迎え、それぞれが歩んでいることでしょう。
私は、病気を治したければ手術をしなければならなくて、栄養を点滴で今は補って体調を良くするために頑張っています。
手術をするためには、今の栄養の状態では難しいと言われ、胃から栄養を入れている状態です。
永寿病院に運ばれて、看護婦長が東京都の制度を知っていたので、病院の個室に入れてくれて、介助者も泊まれる病院に入院していました。
私にとっては、言葉が看護師に伝わらないので、とっても助かりました。
今も喋るのが辛い状態で、長々と喋れない状態です。
調子が良い時は喋れるけど、こうして文章を書くのは大変です。
皆さんにとっては、色々知りたいこともあるでしょうが、今日はこの辺で失礼します。
「たいとう酉の市」 女将 鶴岡和代
2025-12-01
皆さんこんちには。
今回は番外編です。
毎年恒例「たいとう酉の市」が今年もやってきました。
自立生活センターたいとう(CIL)スタッフとトータルサポートたいとう(TST)スタッフが協力して11月12日、24日の二日間開催しました。
メニューは、たいとう名物の豚汁、からあげ、ポテトサラダ、おにぎり。
12日は私、鶴岡も女将として皆さんをおもてなし。
CILスタッフも料理を作ったり、受付・会計スタッフとして頑張っていました。
TSTニュース紙面では写真もたくさん掲載しています。
ぜひご覧ください。
「自立支援」 理事長 鶴岡和代
2025-11-01
皆さんこんにちは。10月に入って涼しくなりましたね。
お互いに風邪引かないように体調を保って過ごしましょう。
さて、3回にわたって専従介護人のことを書いてきました。
制度が整って事業所は派遣が可能になりました。
初めは介助者も少なかったので、勉強会をやったりしながら介助者を集めていきました。
私には24時間の介護制度がなかったため、今まで専従介護人という人がTSTの介助者に入れられなくて、仲間からも自分で事業所を作ればいいと言われました。
別の事業所を作って、そこからの派遣でした。
TSTのように出産、子育ての介護保障を見出せる規模ではなかったです。
結婚して子どもができると辞めてもらうという方法しかなく、この先私たちは介助者と共に作る自立支援がどこまでできるのだろうかと、不安になりました。
他区の自立生活の先輩に相談して、どうしたら保障ができるかと悩んだ経験があります。
なんとか形になったものの、やっぱり子どもができたら辞めてもらうというスタイルでした。
専従介護人とは親兄弟以上の関わりで、私を支えてくれました。
共に泣き笑いもしながら、共に関わってもらいました。
今ではTST1本なので、当時のことをあまり覚えてないです。
これで一応、TST及び事業所については終わりにします。
わからないことがあれば、鶴岡まで連絡下さい。
「支援費制度」 理事長 鶴岡和代
2025-10-01
9月に入って涼しくなったかと思えば暑い毎日で、私は保冷剤を体にたくさん入れて冷やしている状態です。
エアコンも18℃設定で寒いくらいにかけても、体に熱がこもって体温が38℃くらいになっちゃうときもあります。
秋はまだまだ来ないかな。
皆さんはいかがでしょうか。
派遣であちこち行く介助者の皆さんは、汗をかきながら雨に濡れながら大変だと思います。
お互いに気を付けて過ごしましょう。
さて、先月号の続きです。
私たちの自立運動が国や東京都に届いて、支援費制度という形が出来上がってきました。
事業所を通じて派遣される制度となったので、私の個人契約の専従介護人は事業所に登録して派遣される必要がありました。
でも、TSTでは24時間介護制度が出ていない人を受け入れるわけにはいかないと言われて、専従介護人だった人をTSTから派遣するのは難しくなりました。
TSTを立ち上げたものの、私の専従介護人はTSTの介助者として登録できず、とっても悩みました。
ボランティアを入れることもできなかったのです。
私の自立に協力してくれた畠山さんにお願いして、TSTとは別の事業所を立ち上げました。
個人契約の専従介護人だった皆さんは畠山さんが立ち上げてくれた事業所からの派遣となりました。
制度が新しく出来て嬉しい反面、個人契約が出来なくなるので専従介護人とは違ったかたちとなりました。
その他に、女性介助者の結婚や出産、子育てなどのことも当時はなかなか保障できる状態ではなく、その事業所も難しい問題のひとつでした。
現在私はTSTの介助者派遣を使って暮らしています。
この経緯の中には色々な問題や課題があって、心を閉ざしていたこともあります。
言葉に表せないような想いもあり、私たち当事者と介護者の間のちょっとした亀裂が大きな亀裂になっていき、様々悩んだこともあります。
専従介護人と事業所から派遣される介助者とでは全然違う気がします。
でもTSTを立ち上げたことは、今では呼吸器をつけた私にとっては色々とよかったなと思います。
制度がよくなっていく中で、それをどう使うか私たち当事者の想いが優先されるように願っています。
皆さんにどこまで伝わったか分かりませんが、このような想いで毎日を過ごしています。
「声を上げて」 理事長 鶴岡和代
2025-09-01
皆さんお元気でしょうか。
暑い日があるかと思えば台風も来て、大洪水のところもあります。
まだまだ暑い日が続くと思います。
お互いに体に気を付けて過ごしましょう。
さて、先月から自立について想いを書きました。
私は機能低下が進んで、昭和62年に山梨の「麦の家」に入所しました。
入所してから自立生活をしている先輩と仲間に出会って、いろいろなことを教えてもらいました。
施設に入ったのに自立への想いは高まって先輩たちの運動体にも入れてもらって勉強しました。
現在、CIL・TSTの理事を担ってくれている益留さんは、その当時は運動体の副委員長であり、私みたいに何もわからない人に対していろいろ教えてくれるリーダー的な存在でした。
平成2年に「麦の家」を出て、千束の一般マンションで自立生活を始めました。
その頃は福祉制度もなかったので、専従介護人という個人契約の人を2人雇って、あとは約115名のボランティアを入れて介助体制を作って暮らしていました。
平成8年に「CILたいとう」を立ち上げました。
私たちの介護制度のありようを台東区に知ってもらうためにも、6人の仲間と共にスタートしました。
大勢の協力者がいて、私たちを支えてくれました。
そして、私の専従介護人も「CILたいとう」のスタッフとして受け入れてもらいたいと言ったけど、鶴岡さんが個人で雇っている介護者だから話が違うと言われて、受け入れてもらえなかったのを今でも覚えています。
当時、専従介護人というのは雇われている契約している障がい者と深い関係にあって、厚生省や東京都とも交渉していく関係でした。
介助を受ける側に泊まってもらう感じでお互いに話し合って進めていく感じでした。
CILの当事者スタッフにはこのことは伝わらなくて、現実は厳しいなと思いました。
次号に続く…





