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理事長鶴岡 近況報告


弟は 自立生活 理解して
 CILTST 活動を支援し


          むらさき(2025年5月)
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「自立生活」   理事長 鶴岡和代

2025-06-01
5月になってさわやかな若葉の季節です。
暑い日もあれば、寒い日もあって体がついていかない。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

さて、4月14日に谷中ツアーに行ってきました。
前から私と私の介助者が行きたいねって言っていて商店街の食べ歩きもしたいし、私が若い頃働いていたスーパーも見たいと言っていて、やっと実現したんです。

月曜日だったのでCILの皆さんにも声をかけて一緒に行きませんかと言う話になって、理事の益留さんも行くことになりました。
大勢で谷中の町を歩き、私は15年ぶりに商店街に行ったので、ずいぶん、風景が変わっているなと思いました。
若い頃働いていたスーパーは更地になっていて、この後何が建つのかと弟に聞いたら、分からないと言っていました。
弟にも6年ぶりで会ってきました。
呼吸器をつけて出かける私を見たのは、この時が初めてだったと思います。
大勢で行ったので、家の前で話して、色々と写真を撮ったりして近所の人からは何事かと思われています。
私には4つ年下の弟がいて父母が亡くなった後は弟が後を継いで建て替えて暮らしています。
私のこともよく理解している弟でCILのみんなを連れていったのも別に驚いた感じもなかったです。
弟は猫と暮らしていてその猫も見せてくれました。前から見たかったなと思っていたので、嬉しかったです。
介助者の皆さんもCILの皆さんも弟の話を良く聞いていて、内容が違うところを私が訂正してもそれが聞こえていたのか分かりませんでした。

私が一番印象に残ったのは、スーパーがなくなってその後何が建つのか分からないとうことでした。
ものすごく残念でした。
でも、夕焼けだんだんの前と谷中せんべいと佃煮の中野屋で色々買ったのがよかったです。

みなさんも谷中の商店街を歩いてみてください。

「暮らしの中で」   理事長 鶴岡和代

2025-05-01
葉桜になり、若葉の季節が爽やかです。
皆さん、お花見は楽しめましたか?
私はテレビで見ただけで、外に出てみる機会はなかったです。

さて、今日は気管切開をした状態の暮らしについてお話ししたいと思います。
前にもお伝えしたように、特別な人工喉頭というマイクを私の喉に当てない限りコミュニケーションができないです。
私に問いかけて首を横に振ったり縦に頷いたりはできるけど、遠くから呼びかけられても言葉を発することはできない。
そんな中で、マイクも当てないで私の唇の動きだけでわかろうとすると、思って言ってることと違うことがあります。
そんな時、とても悲しくなったり苦しくなったり情けなくなったりします。
毎日が自分との戦いで、とても辛く後ろ向きになることが多いです。
マイクを当てて一生懸命に聞こうとしてくれる支援者も多いので、そういう時は前向きになって笑顔になろうと努力します。

また、介助者も支援者も一生懸命やってくれる中で、私が後ろ向きになっている時は支援者も戦っているんだろうなと思っています。
歳を重ねて体力も弱くなり、体のあちこちが痛くて、その痛みと向き合わなきゃならないことも後ろ向きになる一つです。
こんなことを書いても何のメリットもないと思いますが、気管切開した人は普段こんな思いをしているのかなと思います。
言語障がいのある仲間の皆さんはまた違った想いがあると思います。
皆で考えてみましょう。
※支援者とは、鶴岡和代に関わっている全ての人のことを言っています。

「制度交渉し」   理事長 鶴岡和代

2025-04-01
みなさんお元気でしょうか。
春のような陽気になったり雪が降ったりするような気候で体がなかなかついていかない今日です。

テレビのニュースで桃の花が咲いているのを観て、40年前を思い出しました。
昭和63年に山梨県にある麦の家という養護施設に入所しました。
1週間後には東京に帰ってきて、そこから私の人生が変わりました。
桃の花は私にとって自立への輝きでした。
入所しながら月1回特急電車のあずさやかいじに乗って東京-山梨間を往復する日々になりました。
桜よりも桃の花はピンクが濃くて一面桃畑で、空もピンクに見えるような感じでした。
施設にいながら東京の厚生省や東京都に仲間と出向いて施設の問題点や4人部屋から1人部屋にできないかという交渉までやっていました。
その傍ら、実家がある台東区で自立生活がしたいと思い、仲間と制度交渉しました。
その頃は制度自体も少なかったので、自立生活をするなんてボランティアを集めて暮らす以外に方法なんてなかったのです。
今は重度訪問介護という制度があって、必要によって介助がつけられるようになりました。

テレビのニュースで賃上げの問題を話している場面があり、介助者から「理事長、TSTも賃上げしてくれませんか。」と言われましたが、私たちの介護制度の金額が上がらないと賃上げも難しいのです。
桃の花を思い出すと、仲間と一緒に私たちの介護制度を交渉してきた頃を思い出します。
そして、ボランティアも一緒に巻き込んで交渉した頃の思い出も蘇ります。
今は介助派遣というかたちになっているので、交渉というよりは必要な介護時間を相談員という人と共に必要な時間を交渉する感じで、障がい者が団体を組んでやるような交渉は難しい状況にあります。
世の中の賃上げが難しい中で更に福祉制度の金額を上げるのは難しいのです。
空一面にピンクで埋め尽くす桃の花は、こらからも交渉していかないとなかなか咲かない花です。
みなさんも一度山梨の桃の花を見てみてください。

「施設と地域の暮らし」   理事長 鶴岡和代

2025-03-01
皆さんお元気ですか?
2月半ばになっても寒い日が多いです。
いつになったら春になるのかな。
待ち遠しいですね。

さて、TSTの利用者でもあり、CILの日中活動の仲間でもあった新橋三枝子さんが1月17日に天国に召されました。
今頃、空の上から私たちを見守ってくれていることでしょう。
私と新橋さんの出会いについて今回は書きたいと思います。

私は、昭和63年11月に山梨県にある「麦の家」という療護施設に入所しました。
地域で暮らせない人が入所する施設です。新橋さんは、私が入所して半年ぐらい後に入所しました。
お部屋が別だったのでたくさん話をした記録があんまりないのですが、夜7時くらいから、4,5人で食堂に集まってお酒を飲んだり、話をすることがありました。
その仲間の1人でした。
私は入所してから半月ぐらいで、生活指導員の畠山さんから「東京に帰りたいか」と聞かれて、「帰りたい」と言ったら、「僕の言うことも聞いてくれるか」と聞かれて、ドキッとしました。
そして、清瀬療護園に入園している太田さんと出会うことになりました。
太田さんの話を聞いていて、私も自立生活を夢見るようになって、山梨と東京を半月に1回往復するようになりました。
東京都や厚生省に出向いて、施設改善や1人部屋の要望などを交渉したり、勉強など行う集まりに私も加わって、太田さんと一緒に活動してました。
そして、「麦の家」のみんなに報告書をまとめて配りました。
そういう姿を新橋さんが見ていて、「鶴岡さんみたいにできないな」と言われました。

そして、私が平成2年に「麦の家」を退所して、今の自立生活になりました。
平成8年4月に「CILたいとう」を立ち上げて、その後、新橋さんが私を追いかけるように「CILたいとう」に来て、自立生活をしたいと言いました。
「自立生活はいろんなことで大変だから麦の家にいたほうがいいんじゃないの」って言った覚えがあります。
私も自立したいと思ったときに八王子の「ヒューマンケア協会」に相談に行ったら、「施設にいたほうがいいんじゃないの」と言われた記憶があります。
でも自立して、新橋さんも自立して、地域の暮らしをしています。
いろんなことがあるけれど、新橋さんは地域の暮らしで幸せだったのかと思ったりしました。
私の介助者が交代する時に、必ず新橋さんの話をするのを聞いていて、幸せだったんだと実感しました。
そして、愛しまれて羨ましいなと思ったりもしています。きっと今頃、「鶴岡さんよりも幸せだったよ」と言っているような気がします。
これからも私たちのことを見守っていてください。

「機能低下」   理事長 鶴岡和代

2025-02-01
1月半ばになって寒い日もあれば春のようなあったかい日もあります。
みなさんお元気でしょうか。
今年の目標に向かって歩んでいる人もいれば、目標を立てても歩みだせない人もいると思います。
私も目標は立てているけれど、それに向かって歩むのができない日もあります。

さて、今日は私の話をします。
昭和25年7月25日の生まれで、後期高齢者の仲間入りをします。
生まれつき脳性麻痺で、8歳から17歳まで小平にある整育園に入園し、機能訓練と生活指導を受けて身の回りのことは自分でできるようになりました。
歩くこともできるようになり3cmくらいのヒールがある靴を履いて、ユニークダンスという名前の集まりがあって社交ダンスのような遊びもやっていました。
35歳の頃から首の骨が圧迫される変形性頚椎症と診断されて、だんだんと機能低下をして昭和63年に山梨県の麦の家という施設に入所することになってしまいました。
私たちは年齢を共に機能低下をすると先輩たちから言われていて、そうそう私もそうなってしまったかと思い、姥捨て山に行くような思いでした。
麦の家に入所して3日目で自立生活を目指すことになって、先輩たちの話を聞いたり、先輩の家に行って生活状況を観たりして、3日生きればいいやと思って自立しました。
その後もいろいろ機能低下はあったんだけど、6年前の気管切開を経て人工呼吸器をつけて暮らしています。
カニューレ交換のときは、痛さと不安で毎回笑えないです。
日々介助者と訪問看護師に医療ケアを受けて暮らしています。
振り返ってみれば、機能低下を認められず過ごした日もありました。
でも、友だちに励まされ支えられ、仲間にめぐり逢い今日に至っています。
健常者でも体力の衰えを認めたくないと言っていたので、私だけじゃないんだと思う毎日です。

新しい年になってこんなことを書くのはなんだかなと思いましたが、自分のことを自分で認めるっていうのは難しいことだなと思ったので書きました。
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