理事長鶴岡 近況報告
秋の風 涼しい中で 気持ち良く 心地良く
自立支援とは 一人一人捉え方が違う
むらさき(2025年10月)
「昭和産まれ」 理事長 鶴岡和代
2024-08-01
梅雨が明けたような明けないような毎日が過ぎています。
洪水のところもあったり台風のようなところもあったりで、日本列島は気候によって様々なことが起こっています。
私は人口呼吸器を着けているせいなのか湿度とか部屋の温度で息苦しくなって、痰を取っても取っても胸が苦しくて何回も痰を取ってもらいたい気持ちになってしまいます。
先月号は時間が取れなくてニュースの原稿が書けませんでした。
「こういう季節こそ梅味の飲みものとか食べ物を口にしたくなりますよね」という内容を書こうと思っていました。
さて、今月号は昭和産まれの私にとって思い出すのは太陽の熱さです。
昭和25年はまだ戦後の混乱の中でした。
家もトタン屋根でバラックみたいな造りでした。
昭和34年に入園した機能訓練と生活指導の施設もトタン屋根ですごく太陽が熱かったのを思い出します。
エアコンもないし、小さな扇風機でみんなで風に当たっていました。
とにかくすごくあつかったのを覚えています。
都内でも今のようにビルがたくさんではなかったので、直接太陽が当たるような感じでした。
今は気候変動でエアコンがあっても熱中症にかかって搬送される人が急増しているとニュースでやっていました。
70年80年生きている人はあのバラックの熱さが言い表せない熱だと分かってくれると思います。
TSTニュースを読んでくださる方は50代以下の方が多いんじゃないかと思っているので、あの熱さというのはいくら書いても伝わらないんじゃないかと思います。
でも、この一週間ほど呼吸が苦しくなり湿気と暑さでつらい時期です。
まだまだこの暑さは続くと思うので、みなさんも一緒に涼しくなるように心がけましょう。
お休み 理事長 鶴岡和代
2024-07-01
皆様、申し訳ありません。
時間がなく、短歌だけとなりました。
「疑問に想う」 理事長 鶴岡和代
2024-07-01
新年度を迎え5月になって爽やかな季節です。
気象変動の影響なのか夏のような暑い日もあります。
皆さん、体調には気をつけて過ごしましょう。
さて、夜寝たときに色々な夢を見ると思います。
目が覚めて覚えているときとそうでないときがあると思います。
私の話ですが、体の機能の変化がある暮らしをしてきました。
生まれたときは手足が動かず、しばらく経ってから赤ちゃんの歩行器で家の中を歩いていました。
7、8歳頃から小平にある整育園というリハビリと生活指導を兼ねた施設に入って、一人で歩けるようになりました。
自分のことは自分でできる身体状況になりましたが、30歳を過ぎたあたりから首の骨が狭まる変形性頚椎症という二次障がいになりました。
左足が動くので、左で電動車いすを操作して移動をしていました。
平成2年の自立生活を始めたときも、電動車いすでの移動は外でも家の中でもできていました。
そして、15年後から電動車いすを動かすことが難しくなりました。
体の筋力が著しく落ちて、CILやTSTの事務所にも行けなくなりました。
夜中に呼吸器不全を起こし気管切開をして人工呼吸器をつける状態になって6年になります。
不思議なもので、寝ているときに見ている夢は人工呼吸器をしていなく、自分で歩いて色々なところに出かけています。
もっと面白いのは、電動車いすで階段を昇ったり降りたりしている夢です。
電動車いすで階段を昇り降りできるような改善したものでなくて、普通の電動車いすを漕いでいるだけなのに私は倒れない。
そんなことがあり得るのかと思うような夢を見たり、覚えていないけど不思議な夢だったなと思うことも多いです。
自分が火葬されている夢も時々見ます。でも人工呼吸器はついていないんだよね。
皆さんも不思議な夢だったなと思うことはありますか。
私は自分の願望もあると思うんだけど、不思議な夢を見て振り返ってみるとほとんど覚えていないこともあると思います。
お互いに楽しい夢を見ると1日が楽しくなりますね。
「いろ鮮やかに」 理事長 鶴岡和代
2024-05-01
今年は桜の花が咲くのは4月になってからでした。
皆さんはお花見をされましたか。
天候の加減で花見の予定を組めなかった人も多かったみたいです。
私はテレビのニュースなどでお花見を楽しんでいました。
さて、私の自立生活は始めて34年になります。
3日生きればいいやと思って、平成2年4月28日に施設を出ました。
私が自立生活をしたいと思ったのが、施設に入る前の30代のときです。
養護学校時代の後輩が一人暮らしをしていて、同窓会の文章を見て訪ねて行きました。
想像もしない生活で、びっくりしたのを覚えています。
でも、彼女ができるんだったら、わたしにもできるんじゃないかと思って、そこから彼女に色々教えてもらいに行きました。
34年経った今、色々なことを思い出します。
自立生活センターたいとうをつくるにあたっても、大勢の人に関わってもらいました。
3日生きればいいやと思った私が34年も自立生活をして、色々な人に支えてもらったりアドバイスしてもらったり数えきれない手助けをしてもらっています。
今年の7月で74歳になる私は、関わってくれている人たちの色々な想いに感謝しています。
これからもアドバイスをもらったり、関わってもらいながら暮らしていくんだろうなと思っています。
「地震も多し」 理事長 鶴岡和代
2024-04-01
ひな祭りも過ぎて桜の咲く頃です。雪が降ったり北風が吹いたり寒い毎日です。
私は寒暖差があると体が痛くて緊張もしますので、指圧やリハビリを受けてもなかなかほぐれません。
私は寒暖差があると体が痛くて緊張もしますので、指圧やリハビリを受けてもなかなかほぐれません。
春になったら少しはよくなると思います。
さて、東日本大震災も3月11日で13年になります。
テレビ番組で色んな角度から地震について語っています。
あれから13年になるんだと思うと長かったような短かったような、色んなことを思い出します。
元日に起きた能登半島地震もまだまだ揺れていて、いつになったら日常が戻ってくるのか難しい状況です。
元日に起きた能登半島地震もまだまだ揺れていて、いつになったら日常が戻ってくるのか難しい状況です。
最近は千葉県で地震が起きて、関東などが揺れている地震の速報が流れます。
私は緊張で自分の体が揺れていることが多いので、地震のときも地震と分からないで、介助者に言われて初めて地震と分かることも多いです。
北海道から九州まで地震が多い日本は全体的に気候変動の影響で揺れていると専門家が言っていたけど、本当に心配な毎日です。
北海道から九州まで地震が多い日本は全体的に気候変動の影響で揺れていると専門家が言っていたけど、本当に心配な毎日です。
東日本大震災のとき私は台東区千束3丁目に住んでいて現在のリーナにはいませんでした。
前はマンションの1階だったので、すぐに出られるという気持ちでした。現在は3階なのでエレベーターが止まったら逃げられないです。人工呼吸器がついているので、介助者が二人いないと車いすにも乗れないです。
前はマンションの1階だったので、すぐに出られるという気持ちでした。現在は3階なのでエレベーターが止まったら逃げられないです。人工呼吸器がついているので、介助者が二人いないと車いすにも乗れないです。
みなさんも地震について心配だったり怖いなと思う人もいると思います。
東日本大震災や能登半島地震のように大きい揺れになると本当に逃げられないので、日頃から自分はどうしたいのか考えておくのが1番いいかなと思っています。





