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理事長鶴岡 近況報告


お寒暖の 厳しさ体 痛み増す
気候変動で 地震も多し


          むらさき(2024年4月)
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「介護者の保障」   理事長 鶴岡和代

2023-11-01
 10月になっても30℃を超える暑さがありました。
今日は10月13日です。やっと涼しくなったような感じがします。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
熱中症やコロナ、インフルエンザになりかけた人もテレビで色々報道されていました。
私は特に変わったこともなく、元気で過ごしています。

 さて、2回に渡って自立生活の師匠である新田さんのことを書いてきました。
前回、『愛雪』のことを書きましたが、Amazonで購入した人もいたようです。

 私にとって新田さんという師匠は介護制度のない時代から介護制度を作っていく仕組みを教えてくれた人です。
新田さんにとって自立生活センターというものは介護制度があってこそという考えでした。
介護制度が少ない中でセンターを作ったら自分の介護も難しくなるよと言われて、私がCILたいとうを作るときも反対されました。
当時、私は専従介護人という私と個人で契約して色々な介護制度組み合わせて介護をしてもらっていました。
新田さんが東京都や厚生省と介護制度の交渉をしていたのは介護者の保障をするためでした。
支援費制度になってセンターが必要となり、専従介護人をお願いしている人の保険の保障をするために新田さんと一緒になって仲間に入れてもらいました。
介護者の保障は介護制度が高まらないと難しいことです。
支援費制度になる前は本当に毎日が交渉の闘いで、正月から厚生省と制度交渉をしている夢を見て目が覚めたらベッドの上だったという笑い話もあります。

 今現在、一人ひとりに必要な介護制度が認められている自治体もあれば、必要なのに認められていない自治体もあります。
これからも新田さんが闘っていた介護制度は私たちにとっても闘いです。
私たちも介護者のみなさんも障がい者の介護制度及び福祉制度は闘っていかないと政治が衰えていくと同時に保障も少なくなってしまいます。
みなさんには何を言っているのか分からないのかもしれませんが、30年前に介護制度は闘わないと伸びていかない時代でした。
私の想いや熱ばかり高まってしまってこんな文章になりました。

 聴きたい方は鶴岡まで、聞いてください。

「毎日が学び」   理事長 鶴岡和代

2023-10-01
9月になっても猛暑続きの毎日と台風が何回も来て外回りの介助者は大変だと思います。
訪問看護の看護師も雨の中大変だと言っていました。
気圧によって体調が変化する人もいると思います。
みなさんは体調は大丈夫でしょうか。

さて、前回に続き、自立生活の色んなことを教えてくれた師匠についてお話します。
師匠は男性で健常者の人と結婚していて子どももいました。
その頃は小学生だったと思いますが、子どもさんを学童に迎えに行ったりするのを私もついて行ったりしていました。
障がいがあってもお父さんとして子育てに関わるんだなと思ってびっくりしたのを覚えています。

介助者との関係も師匠は喜怒哀楽を表して自分の感情を伝えていました。
きつい言葉で言ったりすることもあるけれど、そのあとは笑ってその場を和ませていました。
私も介助者と行き詰まっちゃうことがありますが、師匠のようにその場を和ますことは未だもってできていないです。
私の場合は、喜怒哀楽を表すのがどうしても言葉を言うだけになっちゃって雰囲気を和らげるまでいかないです。
毎日悩んだり、ときには悲しくなったりすることもあります。

当時、自立生活センターはなかったけど、師匠や周りの先輩方に色々教わって自分なりに学んできました。
昭和の時代と令和の時代の今は福祉制度の違いがあり、難しいなと思う時があります。
自立生活センターたいとうは25年くらい経っているけれど、なかなか私がしっかりしないこともあって頑張らなきゃなと最近思っています。
自立生活センターたいとうにも置いてある新田勲の『愛雪――ある全身性重度障害者のいのちの物語』という本があります。
それを読むと私が伝えていることが少しは分かると思います。
みなさんもぜひ読んでみてください。


「師匠に感謝」   理事長 鶴岡和代

2023-09-01
 7月・8月毎日暑い日が続いていて熱中症が心配です。みなさんお元気でしょうか。

 私のことを知りたい介助者が多くて、「つるさんが自立した頃って自立生活センターはあったのでしょうか」と聞かれました。
私が自立したのは平成2年です。
その頃は自立生活センターも少なくて、台東区には設立できていない状態でした。

 私には自立生活を色々教わる先輩がいました。麦の家という入居施設にいた頃にであった先輩です。
その人は府中療育センターという施設に入っていたときにものすごくひどい扱いをされて、座り込みの運動までやって自立生活をした人です。
昭和62年に全国介護制度運動というのがあって、そこで出会いました。
言葉も喋れず、足文字で介助者に読み取ってもらって役人に伝えていました。ものすごく衝撃だったのを覚えています。

 そして私も麦の家を出て自立生活をしたいと思い、その人が北区に住んでいたので毎日通って勉強をしました。
私にとってその人は自立生活の師匠です。
毎日通っても何も教えてくれなくて、どうしたらいいか分かりませんでした。
もう帰ろうと思って「お邪魔しました」って言ったら「ラーメン食べるか」って言われて「いただきます」と返したら、師匠が介助者に足文字で作り方を教えて美味しいラーメンが出来上がりました。
こうやって介助者とやりとりをするんだとすごく勉強になりました。
制度交渉の運動のことも足文字で介助者に伝えて交渉文を作っていました。
私は訳が分からず呆然としながらそのやりとりを見ていて制度交渉のとき介助者が読み上げ、障がい者の実情をものすごいパワーで伝えていたのをいまでもはっきり覚えています。
その師匠のおかげで台東区や東京都とも交渉し、厚生省にも交渉のため座り込みをすることもありました。

 そうした自立生活の運動があってこそ、今の暮らしがあります。
平成2年の頃は24時間介助を入れていたけど、90%がボランティアでした。
今もまだまだ金額的には低いけど、介助者として暮らしが成り立つようになりました。
師匠は10年前に天国に旅立ったけど、私の中では今でも生き続けています。
みなさんも自立するときに色々と学んだ人がいると思います。
自立生活センターたいとうは平成8年に設立したので、なかなか思うように自立のサポートができませんでした。
介護制度もまだまだ不十分だけど、今に至ったのはその師匠と先輩方のおかげです。

今回はこの辺で…。



「視点をかえる」   理事長 鶴岡和代

2023-08-01
 皆さん、お元気でしょうか?
梅雨入りが早かったのに梅雨明けも早いような今日この頃です。
家の中にいてもある程度の室温を保っていないと私たちは体調が悪くなってしまいます。
お互いに熱中症にならないように気を付けて暮らしていきましょう。

 さて、皆さんはF1を知っていますか。
昭和40年代にテレビで放送していたカーレースのスポーツです。
私はそのテレビを観てものすごく色々なことを考えさせられました。
そのときは車を調整したりいかにレースを早く走って優勝するか車を運転するレーサーが全てを握っていて大変だなと思って観ていました。
が、1台1台に監督がいて整備の人がいてタイヤメーカーの人がいて、レーサーという運転する人とコースをいかに早く走って優勝するかを協同しあっていました。
このことを知ったとき衝撃を受けました。

 私は平成2年に山梨の施設から地域生活を選んで今の暮らしになりました。
私が生きていくには、介助者がいて共に考え、手助けをしてくれてこそ暮らしが成り立つんだなと思いました。
そして5年くらい前に人工呼吸器をつける状態になって、今では色んな人に助けられて支援されて暮らしています。
介助者や介助者をまとめるコーディネーター、その人のことを考えるリーダーなどがいると思います。

 みなさんもその人たちのことを考えその人たちも視点をかえてみれば、障がいを持つ私たちだけが先行している訳ではなく、介助者が先行する場面もあれば医者が先行する場面もあります。
もちろん私たちが暮らしやすいようにそっと支えている場合もあります。
このTSTニュースの原稿を書くにしても私の言葉を聞き取って筆記者に伝える場面もあるのです。

私たちも皆さんも視点をかえて考えてみると、自分の役割とか自分が暮らしていくのに何が大事なのかが見えてくるような気がします。
ちょっとだけ視点をかえてみるのも暮らしやすくなるのかもしれませんね。


「暮らし輝く」   理事長 鶴岡和代

2023-07-01
皆さん、お元気でしょうか?
関東も梅雨入りで湿気の多い毎日です。
でも、ニュースで鎌倉のあじさい寺の美しい景色を放送していて、梅雨の日も楽しみがあるなと思いました。
お出かけや散歩が好きな方はこの時期は、ちょっと出掛けるのが大変ですね。

今日は前にも書いたことがあるのですが、TSTの成り立ちや、私の短歌の名前など、
新しいスタッフも増えたことなので、書こうと思います。
私が書く短歌のむらさきは源氏物語に出てくる「紫の上」という人の名前です。
「鶴岡が紫色が好きだから」という話を聞いている人も多いかもしれません。
青紫が好きなのは確かですが、源氏物語に例えていて、物語に出てくる「紫の上」という人の意味あいで決めました。

トータルサポートたいとうは、平成13年4月2日に設立しました。
設立にあたって私たちの暮らしを豊かに輝く未来と思って
「望む暮らしを切り開き、共生社会へのトータルサポート」という理念に基づいて、設立しました。
台東区の福祉が整備されて障がい者自身の暮らしが豊かになり、
支えてくれるスタッフと支援者が暮らしやすくなると思ってネーミングを考えました。

光源氏の正妻と「紫の上」は、宮中でまとめ役をかって出て整えた人です。
私はそんな力はないけれど、その意味合いを取り込んで、私たちも働く皆さんも改革したかったのです。
福祉というのは、私たち自身が輝くような暮らしができて、支える側も輝く未来がないと続けられないなと思って、
色々考えて今日まで歩いています。

まだまだ足りないところがいっぱいあって新しいスタッフなどは、
TSTの理念って何?とか私たち仲間も当たり前のように生活ができるんだろうなと思っているけど、
望む暮らしを切り開いていかないと福祉は低下してしまう。
今一度、みんなが一体となってTSTを盛り上げていかないと難しくなります。

戦争が起きている国もあれば、この4年間の感染症等でいろんな支援が必要になったこともあるので、
私たちの暮らしも影響が出てくることもあります。
みんなで台東区をよくしていかないと、むらさきの名前は沈んでしまいます。

もっと詳しく聞きたい方は鶴岡までお尋ねください。



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特定非営利活動法人
トータルサポートたいとう
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