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理事長鶴岡 近況報告


 
新しい 年に願う 思いなり
暮らしの支援 見直して進む


          むらさき(2025年1月)
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「未来へつなげる」   理事長 鶴岡和代

2024-12-01
11月に入ってやっと冬らしい気温になりました。
暖房を入れたり冷房を入れたりその日の気温によって温度調節が難しいです。
みなさんはいかがでしょうか。

さて、先月もちらっと支援と保障について書きましたが、私たちの暮らしは政治の行方によって色々なことが決まるので今回の政治の在り方もどうなることか、不安になります。
兎角、福祉は後回しにされやすいので、私たちが伝えていかないと今の暮らしは続きません。
TSTは、現在の私のように人工呼吸器をつけても生きていける、楽しいことも遊びにいくこともできる暮らしを夢見て団体を立ち上げました。
ただ、介助者のみなさんからしたら、まだまだ自分の暮らし保障はされていないと思うことでしょう。
それについては、国が福祉というものを見直すという考えを持たないと難しい問題です。
平成14年までは障がい者の介助制度が高齢者と一緒だったので、私たちが訴えても難しい状態でした。
福祉に力を入れて制度を整えていくと言っている国会議員もいるけど、少人数だと引き上げが難しいのです。
ただ、私たちの支援は、当たり前に暮らし当たり前に人として楽しみたい、それが叶う社会はまだまだ遠い。
みんなで声を上げていかないと、自民党が今回の選挙で少ない人数になったため、持ち上げるのがとっても難しいと思う今日この頃です。

11月は酉の市も3回やって、みなさんとお会いできるのを楽しみししています。

「自立と保障」   理事長 鶴岡和代

2024-11-01
10月に入って夏みたいな暑い日があって、熱中症で倒れる人もいるようです。
半ばになってやっと秋が来たような最低気温が18℃温度差の中で私たちは暮らしています。
みなさんお元気でしょうか。
私は湿気が多くて息苦しい感じです。
さて、先月号にも書いたボランティアが来て自立生活が始まった話です。
先月号ではリーダー格のボランティアの人の名前は書きませんでしたが、たかのみきこ(漢字は分からない)さんといいます。
そのたかのさんが180名くらいのボランティアをまとめてシフトを作り、24時間の介助をできるように頑張ってくれました。
新しいボランティアも私と一緒に探し求め、色々な学校へ訪ねてはチラシ配りをしました。
近所のポストにもチラシを配って介助者探しをしました。
当時は、ボランティアをするなら学校の授業に出なくても出席扱いになっていました。
だからこそ、ボランティアによって支えられて暮らせていたのです。
このような暮らしをする中でもっと安定した介助を受けられないかと思い、台東区・東京都・厚生省に交渉に行き、私たちの介助を安定してできるように声を張り上げて訴えてきました。
ボランティアではなく介助者として生活が成り立つように大勢の仲間たちと介助の必要性を訴え続けてきました。
そうして現在のような介助制度が作られたのです。
介助者として働く人の給料も保障されてきました。
それによって支援の在り方と給料保障という問題で視点と論点がかみ合わないような感じになっています。
支援の在り方も見方によっては食い違って私たちの暮らしボランティア時代とは変わってきているところがあります。
TSTの介助者のみなさんはどう思われますか。
まだまだ私たちが声を上げないと介護保障は下がっていくような感じがします。
国会では総理大臣が誰になるか選挙になります。
総理大臣が変わると制度も変わってきます。
私たち当事者や介助者にとっては大きな問題です。
みなさんも考えてみましょう。

「支えがありき」   理事長 鶴岡和代

2024-10-01
9月半ばになっても暑い日が続いています。
皆さん夏バテせずに、お元気でしょうか。
ニュースを観ていると熱中症で倒れる人が多いと報道されています。

さて、私の話になりますが、30年前にボランティアで関わってくれた人が突然訪れてくれました。びっくりしたのと嬉しい思いの両方ありました。
彼女は30年前専門学校の学生で、私が自立する前から関わってくれていて、色々な思い出があります。当時はCILたいとうがなかったので、山梨の施設を出て実家やりんご村などに通わせてもらい、自立への歩みをしていました。彼女は突然私のことを思い出したみたいで、「鶴岡和代」でネット検索をしてりんご村をたどって行き着いたのがTSTだったという話で、驚きです。

専門学生だった彼女は、当時150名いたボランティアをまとめる役でした。ボランティアの人のシフトを作ったり影のリーダーとして私の自立を助けてくれました。卒業と同時にボランティアも辞めて、しばらくしてから彼女の結婚式に呼ばれました。彼女のお父さんが台東区の路上生活者を支援している山友会というところで会計をやっていて、私も2、3回会ったことがありました。

介護制度が少ない時代でボランティアがいなかったら、現在の私はいないと思います。
ボランティアをまとめるのが1番大変なことで、本当によくやってくれていたと思います。
大変だった一方で、楽しみもありました。彼女と一緒にボランティアをやっていた友だちと3人で京都旅行に行ったことがあります。その当時は制度がなかったので、逆に旅行とかも行きやすかったです。ボランティアの中には、彼氏や彼女を連れてきて、今じゃ考えられないボランティアの介助がありました。必死で生きてきた30年前の話です。

文章で書くとなると、終わりがなくなってしまうので、今日はこの辺でおしまいにします。

「互いに緊張」   理事長 鶴岡和代

2024-09-01
8月半ばになって暑い日が続いています。
皆さんお元気でしょうか。
昔の暑さと違って体調管理が難しい、熱中症になりやすい暑さです。

さて、私事ですが、人工呼吸器を着けて6年目になります。
これまでよく生きてきたなと思うときもあり、人工呼吸器を着けたからこそ生きてこられたのだと思います。
でも、月2回のカニューレ交換のときは本当に痛くて本当に苦しくて、こんな思いをするならあの世に行きたいなと思うときもあります。
たぶん何回言ってもみなさんに伝わらないとは思いますが、ドクターの菊地先生も交換がとっても上手いけど私が緊張するためとっても痛いんですよね。
そして、痰吸引のときもフレックスチューブを外して吸引チューブを入れるのが互いに緊張する瞬間です。

でも、そんな中でも楽しみがいっぱいあって、このTSTニュース原稿を書くのも楽しみのひとつです。
短歌は昔から詠んでいたんだけど、自己流なので果たして短歌と言えるのかどうかわかりません。
何人かから楽しみにしているよと言われ、こんな下手な短歌でも楽しみにしてくれている人がいると思うと頑張れます。
74歳まで生きてきたのでこの先何年生きられるか分からないけど、人工呼吸器と経管栄養が着いているので普通の人より長生きしちゃうのかなと思ってこれ以上延命治療はしたくない。
ドクターの菊地先生にも毎回言っていて「ツルさんはなんでもないので大丈夫」と言われるたび何の根拠で言われているんだろうと思っています。
皆さんにはどう伝えても分からないかもしれませんが、もし私のように人工呼吸器を着けるようになってもその人その人で楽しみがあると思います。

夏バテをしないように暑さに気を付けて過ごしていきましょう。

「昭和産まれ」   理事長 鶴岡和代

2024-08-01
梅雨が明けたような明けないような毎日が過ぎています。
洪水のところもあったり台風のようなところもあったりで、日本列島は気候によって様々なことが起こっています。
私は人口呼吸器を着けているせいなのか湿度とか部屋の温度で息苦しくなって、痰を取っても取っても胸が苦しくて何回も痰を取ってもらいたい気持ちになってしまいます。
先月号は時間が取れなくてニュースの原稿が書けませんでした。
「こういう季節こそ梅味の飲みものとか食べ物を口にしたくなりますよね」という内容を書こうと思っていました。

さて、今月号は昭和産まれの私にとって思い出すのは太陽の熱さです。
昭和25年はまだ戦後の混乱の中でした。
家もトタン屋根でバラックみたいな造りでした。
昭和34年に入園した機能訓練と生活指導の施設もトタン屋根ですごく太陽が熱かったのを思い出します。
エアコンもないし、小さな扇風機でみんなで風に当たっていました。
とにかくすごくあつかったのを覚えています。
都内でも今のようにビルがたくさんではなかったので、直接太陽が当たるような感じでした。
今は気候変動でエアコンがあっても熱中症にかかって搬送される人が急増しているとニュースでやっていました。
70年80年生きている人はあのバラックの熱さが言い表せない熱だと分かってくれると思います。
TSTニュースを読んでくださる方は50代以下の方が多いんじゃないかと思っているので、あの熱さというのはいくら書いても伝わらないんじゃないかと思います。

でも、この一週間ほど呼吸が苦しくなり湿気と暑さでつらい時期です。
まだまだこの暑さは続くと思うので、みなさんも一緒に涼しくなるように心がけましょう。


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