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理事長鶴岡 近況報告


 
自立への 歩み思えば 大勢の
支えがありき 今日まで生きる


          むらさき(2024年10月)
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「支えがありき」   理事長 鶴岡和代

2024-10-01
9月半ばになっても暑い日が続いています。
皆さん夏バテせずに、お元気でしょうか。
ニュースを観ていると熱中症で倒れる人が多いと報道されています。

さて、私の話になりますが、30年前にボランティアで関わってくれた人が突然訪れてくれました。びっくりしたのと嬉しい思いの両方ありました。
彼女は30年前専門学校の学生で、私が自立する前から関わってくれていて、色々な思い出があります。当時はCILたいとうがなかったので、山梨の施設を出て実家やりんご村などに通わせてもらい、自立への歩みをしていました。彼女は突然私のことを思い出したみたいで、「鶴岡和代」でネット検索をしてりんご村をたどって行き着いたのがTSTだったという話で、驚きです。

専門学生だった彼女は、当時150名いたボランティアをまとめる役でした。ボランティアの人のシフトを作ったり影のリーダーとして私の自立を助けてくれました。卒業と同時にボランティアも辞めて、しばらくしてから彼女の結婚式に呼ばれました。彼女のお父さんが台東区の路上生活者を支援している山友会というところで会計をやっていて、私も2、3回会ったことがありました。

介護制度が少ない時代でボランティアがいなかったら、現在の私はいないと思います。
ボランティアをまとめるのが1番大変なことで、本当によくやってくれていたと思います。
大変だった一方で、楽しみもありました。彼女と一緒にボランティアをやっていた友だちと3人で京都旅行に行ったことがあります。その当時は制度がなかったので、逆に旅行とかも行きやすかったです。ボランティアの中には、彼氏や彼女を連れてきて、今じゃ考えられないボランティアの介助がありました。必死で生きてきた30年前の話です。

文章で書くとなると、終わりがなくなってしまうので、今日はこの辺でおしまいにします。

「互いに緊張」   理事長 鶴岡和代

2024-09-01
8月半ばになって暑い日が続いています。
皆さんお元気でしょうか。
昔の暑さと違って体調管理が難しい、熱中症になりやすい暑さです。

さて、私事ですが、人工呼吸器を着けて6年目になります。
これまでよく生きてきたなと思うときもあり、人工呼吸器を着けたからこそ生きてこられたのだと思います。
でも、月2回のカニューレ交換のときは本当に痛くて本当に苦しくて、こんな思いをするならあの世に行きたいなと思うときもあります。
たぶん何回言ってもみなさんに伝わらないとは思いますが、ドクターの菊地先生も交換がとっても上手いけど私が緊張するためとっても痛いんですよね。
そして、痰吸引のときもフレックスチューブを外して吸引チューブを入れるのが互いに緊張する瞬間です。

でも、そんな中でも楽しみがいっぱいあって、このTSTニュース原稿を書くのも楽しみのひとつです。
短歌は昔から詠んでいたんだけど、自己流なので果たして短歌と言えるのかどうかわかりません。
何人かから楽しみにしているよと言われ、こんな下手な短歌でも楽しみにしてくれている人がいると思うと頑張れます。
74歳まで生きてきたのでこの先何年生きられるか分からないけど、人工呼吸器と経管栄養が着いているので普通の人より長生きしちゃうのかなと思ってこれ以上延命治療はしたくない。
ドクターの菊地先生にも毎回言っていて「ツルさんはなんでもないので大丈夫」と言われるたび何の根拠で言われているんだろうと思っています。
皆さんにはどう伝えても分からないかもしれませんが、もし私のように人工呼吸器を着けるようになってもその人その人で楽しみがあると思います。

夏バテをしないように暑さに気を付けて過ごしていきましょう。

「昭和産まれ」   理事長 鶴岡和代

2024-08-01
梅雨が明けたような明けないような毎日が過ぎています。
洪水のところもあったり台風のようなところもあったりで、日本列島は気候によって様々なことが起こっています。
私は人口呼吸器を着けているせいなのか湿度とか部屋の温度で息苦しくなって、痰を取っても取っても胸が苦しくて何回も痰を取ってもらいたい気持ちになってしまいます。
先月号は時間が取れなくてニュースの原稿が書けませんでした。
「こういう季節こそ梅味の飲みものとか食べ物を口にしたくなりますよね」という内容を書こうと思っていました。

さて、今月号は昭和産まれの私にとって思い出すのは太陽の熱さです。
昭和25年はまだ戦後の混乱の中でした。
家もトタン屋根でバラックみたいな造りでした。
昭和34年に入園した機能訓練と生活指導の施設もトタン屋根ですごく太陽が熱かったのを思い出します。
エアコンもないし、小さな扇風機でみんなで風に当たっていました。
とにかくすごくあつかったのを覚えています。
都内でも今のようにビルがたくさんではなかったので、直接太陽が当たるような感じでした。
今は気候変動でエアコンがあっても熱中症にかかって搬送される人が急増しているとニュースでやっていました。
70年80年生きている人はあのバラックの熱さが言い表せない熱だと分かってくれると思います。
TSTニュースを読んでくださる方は50代以下の方が多いんじゃないかと思っているので、あの熱さというのはいくら書いても伝わらないんじゃないかと思います。

でも、この一週間ほど呼吸が苦しくなり湿気と暑さでつらい時期です。
まだまだこの暑さは続くと思うので、みなさんも一緒に涼しくなるように心がけましょう。


お休み   理事長 鶴岡和代

2024-07-01
皆様、申し訳ありません。
時間がなく、短歌だけとなりました。


「疑問に想う」   理事長 鶴岡和代

2024-07-01

新年度を迎え5月になって爽やかな季節です。
気象変動の影響なのか夏のような暑い日もあります。
皆さん、体調には気をつけて過ごしましょう。

さて、夜寝たときに色々な夢を見ると思います。
目が覚めて覚えているときとそうでないときがあると思います。
私の話ですが、体の機能の変化がある暮らしをしてきました。
生まれたときは手足が動かず、しばらく経ってから赤ちゃんの歩行器で家の中を歩いていました。
7、8歳頃から小平にある整育園というリハビリと生活指導を兼ねた施設に入って、一人で歩けるようになりました。
自分のことは自分でできる身体状況になりましたが、30歳を過ぎたあたりから首の骨が狭まる変形性頚椎症という二次障がいになりました。
左足が動くので、左で電動車いすを操作して移動をしていました。
平成2年の自立生活を始めたときも、電動車いすでの移動は外でも家の中でもできていました。
そして、15年後から電動車いすを動かすことが難しくなりました。
体の筋力が著しく落ちて、CILやTSTの事務所にも行けなくなりました。
夜中に呼吸器不全を起こし気管切開をして人工呼吸器をつける状態になって6年になります。

不思議なもので、寝ているときに見ている夢は人工呼吸器をしていなく、自分で歩いて色々なところに出かけています。
もっと面白いのは、電動車いすで階段を昇ったり降りたりしている夢です。
電動車いすで階段を昇り降りできるような改善したものでなくて、普通の電動車いすを漕いでいるだけなのに私は倒れない。
そんなことがあり得るのかと思うような夢を見たり、覚えていないけど不思議な夢だったなと思うことも多いです。
自分が火葬されている夢も時々見ます。でも人工呼吸器はついていないんだよね。

皆さんも不思議な夢だったなと思うことはありますか。
私は自分の願望もあると思うんだけど、不思議な夢を見て振り返ってみるとほとんど覚えていないこともあると思います。
お互いに楽しい夢を見ると1日が楽しくなりますね。
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