理事長鶴岡 近況報告
「明日みつめる」 理事長 鶴岡和代
「春はまた来る」 理事長 鶴岡和代
「想いそれぞれ」 理事長 鶴岡和代
3月になって、桜のつぼみもほころんで開花がいつになるか楽しみです。
東京はコロナの緊急事態宣言が3月21日まで延びてしまいました。
まだまだコロナの収束は難しい状況でお花見も楽しめませんね。
皆さんコロナにかからないように気をつけて過ごしましょう。
さて、3月11日は東日本大震災が起きた日です。
あれから十年。
十年の時を重ねてテレビ番組は十年の足跡を色々な角度から報道していました。
NHKのごごナマという番組で西田敏行がゲストで呼ばれ、船越英一郎と話をしていました。
西田さんは東北が実家で、涙ながらに話をしていました。
十年前の3月11日、私はまだリーナに住んでいない、呼吸器もつけていなかった。
午前中介助者と一緒にタオルの問屋みたいなお店に必要なものを買いに行き、
お昼はその帰りにおにぎり屋でおにぎりとサンドイッチを買ってきて簡単に済ませて
ベッドに横になっていました。
大きなゆれが襲ってきて、テレビでは福島も地震と警報が鳴っていました。
なんだか大変なことが起きたような気がして介助者と二人手を取って地震が収まるのを待ちました。
当時私は千束の5階建てのマンションの1階に住んでいて、
お風呂場の浴槽のお水が外に出てきて廊下がびしょびしょになりました。
何か物が倒れたり落ちたりすることはなかったですが、
東北の皆さんは眠れない夜が何日もあったと思います。
その上3時15分位には津波が来て街中の建物や人がさらわれてしまいました。
今でも見つからない人がいる状態です。
私の担当のドクターが、福島に実家があって大変な思いだったと伝えてくれました。
介助者の中にも福島に親がいてその当時の状況を話してくれました。
私は十年経っても二十年経っても震災を忘れない、
という気持ちでこれからも暮らしていきたいと思います。
皆さんの中にはお友達や知り合いが福島や東北にいるかと思います。
私ができることは、震災が起きたことを忘れない。
そして、災害に見舞われた人たちのことを想い、これからも震災が起こると思うので、
3月11日の想いを忘れないでその人たちに寄り添いたいと思います。
「浅草の賑わい」 理事長 鶴岡和代
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
コロナの緊急事態宣言が3/7まで延長となりました。
政府は色々とコロナ対策を考えて宣言を出しています。
皆さんも外出したいと思ってもなかなか外に出られない状況だと思います。
感染しないで皆が元気で過ごせることを何よりも願って祈っています。
私の場合は呼吸器を付けているので、
1日午前と午後に訪問看護師が来て呼吸器のチェックや排泄のケアなどをしてくれています。
さて、去年の暮れにテレビで中村屋ファミリーや市川海老蔵などのこの1年間の状況について
放送されました。
その中で、勘九郎さんが
「コロナのおかげで収入が全く無くなって、
お客様との繋がりが歌舞伎の中止によって遠くなっている」
と話していました。
そんな中、勘九郎さんと七之助さんが浅草の浅草寺五重の塔の前でライブ配信を決定し、
その準備の模様などが放映されていました。
当日は雨になってしまい、
舞台になる檜の所作台もビショビショに濡れて動きの音なども出せないような状態でしたが、
皆が一丸となってリモート配信を成功させました。
歌舞伎に連獅子という演目があります。
その連獅子を雨の中演じていたので、
気振りもビショビショで、雨の雨粒がカメラに映っていました。
私はその番組を、雨の中で連獅子を踊るということがどれだけ大変かと思って
観ていました。
中村屋は浅草に賑わいを戻したいという想いと、
色々な意味で繋がりがあるのでお礼をしたいということを伝えていました。
TSTもブリッジ(音楽イベント)のリモート配信を無観客でやりました。
それも観させてもらいました。
リモート配信というのがどれだけ大変かよく分からない私ですが、
準備もあり、当日のカメラ映りで観客にどう見えるかということも考えると、
すごく大変だなと思って観ていました。
皆さんも、歌舞伎のリモート配信というものがあるので、
お金が少しかかるけど、興味のある人は一度観てみると面白いかもしれません。
もっと興味がある人は私の家のテレビの中に中村屋ファミリーの録画したものがあるので、
DVDを持ってきてくれればDVDに移すこともできます。
浅草の賑わいが今少し薄れていることがとても残念です。
「自律の問答」 理事長 鶴岡和代
年が明け、コロナの感染状況がますます増えて皆さんの体調がとても心配です。
どこでうつるか分からない状況で、
私自身も訪問看護師さんにどうしたらうつらないようにできるのか訊ねています。
皆さんも感染しないように気を付けていきましょう。
さて、先月号から続いて自分の想いを書いてみようかと思っています。
呼吸器を付けてほとんどの人は会話ができなくなります。
パソコンで喋ったりする人が多いと聞いています。
私は言語聴覚士の先生が人工喉頭というマイクを試してくれて、今こうやって喋っています。
ただ、人工喉頭のマイクでは、聞き取り側がとても大変だと思います。
マイクの当て方もあるけど、
ちゃんとした言葉ではないので聞き取り側も疲れると思います。
多くの支援者に助けられて暮らしている私は、自分で立つという字の「自立」ではなく、
自分をいかに律するかという「自律」に値するのではないかと思います。
介助者となかなかコミュニケーションが取れなくて、
ボタンの掛け違いのようなことが常にあります。
そのことを一つ一つ訂正すると、1日が24時間では終わらない。
いかに私自身がどういう風に受け止めるか、いつも考えて暮らしています。
介助者の皆さんは私のことを想って手助けをしてくれているのだから、
多少のボタンの掛け違いはまぁまぁと思って胸に収めてしまうことがあります。
また、喋り過ぎるから気管切開の所が痛くなったりカニューレを止めているベルトがゆるくなっちゃう
とか言われると、確かにそうだなと思うけど、
人工喉頭のマイクで喋らないと伝えられないから、痛くても喋り続ける。
路はまだ長し。
これからも、皆さんに助けてもらいながら毎日を暮らしていくんだろうなと思っています。
皆さん、これからも宜しくお願いします。