理事長鶴岡 近況報告
「師匠に感謝」 理事長 鶴岡和代
2023-09-01
7月・8月毎日暑い日が続いていて熱中症が心配です。みなさんお元気でしょうか。
私のことを知りたい介助者が多くて、「つるさんが自立した頃って自立生活センターはあったのでしょうか」と聞かれました。
私が自立したのは平成2年です。
その頃は自立生活センターも少なくて、台東区には設立できていない状態でした。
私には自立生活を色々教わる先輩がいました。麦の家という入居施設にいた頃にであった先輩です。
その人は府中療育センターという施設に入っていたときにものすごくひどい扱いをされて、座り込みの運動までやって自立生活をした人です。
昭和62年に全国介護制度運動というのがあって、そこで出会いました。
言葉も喋れず、足文字で介助者に読み取ってもらって役人に伝えていました。ものすごく衝撃だったのを覚えています。
そして私も麦の家を出て自立生活をしたいと思い、その人が北区に住んでいたので毎日通って勉強をしました。
私にとってその人は自立生活の師匠です。
毎日通っても何も教えてくれなくて、どうしたらいいか分かりませんでした。
もう帰ろうと思って「お邪魔しました」って言ったら「ラーメン食べるか」って言われて「いただきます」と返したら、師匠が介助者に足文字で作り方を教えて美味しいラーメンが出来上がりました。
こうやって介助者とやりとりをするんだとすごく勉強になりました。
制度交渉の運動のことも足文字で介助者に伝えて交渉文を作っていました。
私は訳が分からず呆然としながらそのやりとりを見ていて制度交渉のとき介助者が読み上げ、障がい者の実情をものすごいパワーで伝えていたのをいまでもはっきり覚えています。
その師匠のおかげで台東区や東京都とも交渉し、厚生省にも交渉のため座り込みをすることもありました。
そうした自立生活の運動があってこそ、今の暮らしがあります。
平成2年の頃は24時間介助を入れていたけど、90%がボランティアでした。
今もまだまだ金額的には低いけど、介助者として暮らしが成り立つようになりました。
師匠は10年前に天国に旅立ったけど、私の中では今でも生き続けています。
みなさんも自立するときに色々と学んだ人がいると思います。
自立生活センターたいとうは平成8年に設立したので、なかなか思うように自立のサポートができませんでした。
介護制度もまだまだ不十分だけど、今に至ったのはその師匠と先輩方のおかげです。
今回はこの辺で…。